不登校を選んだ娘と向き合いたい父のブログ

子育てについて思うこと、学んだこと情報収集したことを書き留めていきます。

小学生時代の状況

保育園からのお友達もたくさんおり、お調子者で勉強ができる人気者だった。

特に3年生4年生は、男の子から人気があったらしい。

 

小学低学年から、授業参観に行ったときは、授業中、手を上げることもなく、表情もどとこなく曇った感じだった。

 

共働き世帯で一人っ子だったので、授業終了後は、学童保育、地域のボランティアさんの家でお世話になって、18:30頃お迎えに行く。

学童から、お友達と一緒に、お友達のお母さんと一緒に英語教室に行く。

学童から、地域のボランティアさんと一緒に習い事まで送ってもらう。

という感じ、放課後、週4ぐらいで習い事をしていた。

 

一人で、お留守番というのは、心細いだろうし、子供たちのたまり場になる可能性もあったので、両親とも反対。

 

学童で宿題をしてくればよいのになぜか、家にもってかえって、しかも、テレビをみていつ始めるからわからない雰囲気。

父は、宿題せずに行ったらいいとも話をしたが、母は絶対ダメ、宿題はやっていくもの!って感じで、子供、宿題はする!と言ってしまうが、なかなか始められない。

 

今考えると、そんな生活じゃ疲れるし、一服したかったと思うが、その時は、両親ともそんなことにも気が付けてなかった。

モチベーションが上がるような声掛けができていれば、よかったのかもしれないが、そもそも、疲れていたことに気付いてやることができてなかったように思う。

 

わが子はなんでもできるスーパーな人間になってほしいという欲望で子供をがんじがらめにしていたのかもしれない。

不登校のはじまり 2「別室登校」

1週間ぐらいはお休みして「別室登校」を始めました。

 

集団登校だったので、登校班の班長さんと地域委員さんに「登校班を利用しないこと。登校班に参加するときに改めて連絡する。」旨を伝えました。

 

子供は先生と、お友達との喧嘩のことを相談して、当事者同士で話をしたみたいだったが、娘は教室には入れなかった。そして、娘はスクールカウンセリングをはじめた。

 

結局、集団登校は利用せず、通学路にほかの児童がいなくなる時間に登校して、保健室か、相談室(普段使っていない部屋)に行って、折り紙とか、プリントをしていた。

 

一度、一緒に登校にしたことがあったが、給食時間に、クラスのお友達が別室に来てくれて一緒に給食を食べてくれている。同級生たちに本当に感謝。

でも、娘は教室に入れない。

なんでかなぁ・・・。

 

どうすればよいかわからず、4年生、5年生を過ごした。

不登校のはじまり 1「私、学校に行かない!」

娘が、「私、学校に行かない!」と宣言しました。

 

娘が小学4年の時に、仲が良かった男のグループで喧嘩して孤立してしまった、という話を妻から聞いた。

本人からは「最近、学校では一人で鉄棒ばっかりしてる。」という話を聞いた。

当時は、娘は父と同じ部屋で寝ていて、父が寝ようと思ったタイミングに起きてきて、「お父さん、遊ぼ!」って言いただした。咄嗟のことで、何がどうなかったのかわからず、二人でババ抜きを一回して、寝ようか?って話をしたときに、「私、学校行かない!」といいただした。

その時は、1,2日休めばまた行くだろうと思っていた・・・。

 

頑固な性格なので、やばいなぁという気持ちが先に立ってしまって、娘の気持ちを受け止めてやることができなかった。